| 三角食べできない人間の所感 |
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| 2009年 2月 21日(土曜日) 09:40 |
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唐突ではありますが、ワタクシ、「三角食べ」ができません。 三角食べってほら、 あの、「複数のおかずとごはんを満遍なく食べましょう」の、あれ。 こんな恥ずかしい習性をブログで世間様に公表するとは、 家族が泣くかも知れぬ。 それでも強行に、いってみよう! たとえば、今日の晩ごはんが ・ごはん ・けんちん汁 ・肉じゃが ・ほうれん草のおひたし だったと仮定します。 そんな場合たとえばワタシ、「いただきます」と言った後、 他のものには目もくれず、けんちん汁だけを平らげる。 この間、一口とてごはんを口に運ぶ事もなく。 そしてあろう事か、空になったお碗を差出し、 「おかわり!」とか言う。 そして2杯目のけんちん汁を、再び他のものに目もくれず きれいに片付け、満を持して『2品目』の肉じゃがに移るのである。 肉じゃが→ほうれん草のおひたし、と順番にひとつずつきれいに 平らげる最中、一口二口くらいはごはんを口にするかも知れない。 でも、大概白いごはんはお茶碗の中で 「ほぼ出てきた時と同じ状態」のまま、自分の出番を 今か、今かと最後まで静かに待機している。 ようやくごはん茶碗に手が伸ばされる時、 「きゃ~おかずがナイ!」と心の中で思う。 何しろワタシ、三角食べができない上に、白いごはんだけで 食べられない、というボーナス特典つきでタチの悪い習性を 持っているのだ。そしておもむろにのりとかお漬物とかを求めて 冷蔵庫を物色しにいく。 どうです、このとんだならず者ぶり。 留学中は家族との晩餐、というものから すっかり遠ざかっていたのでこんなワタシの悪習性も指摘される 事がないまま・・・どころか、悪化していたように思われる。 今は普段家族と食事をするので、「更正の機会」を日々 与えられているのだけど、でも結局直っていない。 先日友人宅に夜遅くに遊びに行ったら、 仕事を終えて帰宅したばかりだったその子が ひたすらキャベツの千切りを食していた。 ここではあえて"キャベツの千切り"にはつっこまないで頂きたい。 その件は別途ゆっくりお話を伺います。 今注目すべきは、その友人の姿を目にした瞬間、 ワタシが知った事実です。 まさに、「ブルータス、お前もか。」の心境。 案の定、聞けば彼女もワタシとまったく同じ種類&レベルの ならず者だった。そしてその2人は自分達のイケナイ習性を 反省するどころか、 「何で三角食べできないのが悪いのよねぇ~」と思いっきり 開き直り、誰にするでもない逆ギレにてその場は幕を閉じた。 そういえばかつて、ワタシがバレエをやっていた頃。 (現在のワタシを知る人の多くはバレエではなく バレー(ボール)だと信じて疑わないようですが、 正真正銘、クラシックバレエを習っていたという、 若干こっぱずかしい過去があります。) 今よりずっと若く、そしてかなり細く、うら若き乙女だった (事にしておいて欲しい)あの頃、「好きな食べ物は?」 と聞かれて間髪いれずに「かつ丼!」 と答えて周りをドン引きさせたという栄光の伝説がある。 年を取り、年齢を重ね、若干キャラが変わっても、 人間の本質的な好みや習性っていうのは そう簡単に変わらないものなのねぇ~と思う。 要は、昔っからワタシ、幕の内弁当的なものには興味がなく、 ひたすら「一点モノ」を愛していたのだ。 で、何が言いたいかって・・・・ 自分の恥さらしを楽しんでいるわけではなく、 ましてや三角食べできない事の良し悪しを問いたいのでもなく、 最近普段の生活の中でとことん一点集中主義、 複数の事を満遍なくバランスよくできない、 そんな自分に改めて気がついているとですよ。 で、そういえば食べるっていう行動にも そんな自分がはっきり出てるな・・・そんな風に思ったわけで。 仕事、趣味、勉強、友達付き合いなどなど・・ ワタシ達の生活の中には複数のフィールドがあるわけですが、 ワタシはどうもその全てに対して満遍なく時間&エネルギーを 費やす事ができない。 要は、「切り替える」という作業が下手なのか。 というかそもそも「切り替え」というシステムが 組み込まれていないのか。 例えば仕事において、スイッチが入らない限り 必要に迫られてもなかなか本気が出ない。 ただし仕事モードに一旦かちっとスイッチが入ると そればっかりになる。朝から晩まで飽きもせず仕事の事ばかり 考えている。 あ。やっぱり切り替えの機能はなく、 スイッチONかOFFの2つしかないのか。 すなわちこれはワタシの類まれな『バランスの悪さ』なのである。 常々、バランスのいい人になりたいなぁと思っている。 そういう人を見ると本当に羨ましいと思う。 でも、留学から帰ってきてしばらくの間ワタシが闘っていたのは、 明らかに『バランスよくなりかけている自分』ゆえに自分の中で 起こっていたジレンマだったと分析している。 つまり。 本来とことんアンバランスな人間が、 ほんの少しでもバランスの良さを持ち合わせてしまった時 自分の中で2つの相反するものが常に対峙する。 で、自分がどっちにも振り切れず、格闘するのだ。 どんなにアンバランスであっても、 実はそれが一番自分に心地よい『バランスの取り方』だったり するのかも知れない。そうやって自分の中ではとれている バランスが、 一般的に言われるバランスの良さによって アンバランスになる、という不思議な現象。 ・・・・・おわかりになるだろうか??? そんな事を考えるようになったのはごく最近。 ちょっと前に読んだビジネス書にあった、 『バランスなんて取ろうと思うな!』というフレーズに いたく感動を覚えてしまったのも今なら頷ける。 いや、ワタシのようにすこぶるバランスの悪い生き方を 絶対的に肯定しているわけではない。 バランス良く生きている人は今でもワタシにとっては憧れである。 ただ、自分の足りなさや欠点に見える部分も、 その全てが100%悲観するものではないのかも知れない。 という見方もあるような気がしている。 強みと弱みは背中合わせだという事もあるし、 何をもって「良い」とするかは 自分ひとりの判断だけにはとどまらないという事もある。 ただ、弱みであれ強みであれ、ワタシにはこういう素質がある。 という事実をきちんと認識するというのはどんな意味においても 大事かな、と思ったりする。 そういう点で、ワタシは非常にバランスの悪い人間だけれど、 そのアンバランスさがワタシたらしめているという事。 ただし、「本質以外は寛容である」というレベルでの バランスの良さは持っていたいと願わされる。 そんな今日この頃です。 |


